弘法大師・空海は20才で出家し、31才の延暦23年(804年) 唐に渡り、都・長安で恵果和尚より正当密教をきわめ、 大同元年(806年)に帰国し、真言密教を各地に広めました。 当時の帝、嵯峨天皇より高野山を賜り、 弘仁7年(816年)に開かれました。 明治5年まで厳しい女人禁制を守り7つの入口を設け、 それぞれを結ぶ女人道の内には 女性の立ち入りを許さなかったそうです。 |
高野山 町石道(ちょうせきどう)コース
高野山の道標として1町(約109m)おきに 町石(ちょうせき)という石柱が立っています。 高さ約3m、五輪卒塔婆形の柱は、もとは木製の卒塔婆でしたが、 それが朽ちた為石造にし、今もその殆どが残っています。 それぞれの町石には、密教の諸尊を表す梵字が刻まれており、 かつて高野詣での人々はこの石にひとつひとつ手を合わせて 登ったとされています。 |
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2004年7月12日(月) 紀伊細川駅10:30〜11:20矢立茶屋11:40〜13:40大門 |
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町石 |
女性4人、難波から南海高野線の高野山行き急行(8時50分発)に乗りました。 途中の橋本までは急行なのですが、そのあとは、各駅停車で 山の中を電車はゆっくりと走っていきます。 |
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難波から1時間半、ようやく紀伊細川駅に着きました。 山の中の過疎の村です。 今日は、それほど暑くはなく曇り空なので 歩くにはいい日和です。 |
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紀伊細川駅 |
10時半出発、紀伊細川駅を下り橋を渡ります。 これから矢立茶屋までは、 川沿いの舗装した谷道を登って行きます。 民家が点在し、時々車が私達を追い越していきます。 風がまったくない・・・暑い!^^; ナンテンの木やマキの木がたくさん植えられています。 民家の庭ではくちなしの花が見頃でした。 |
11時20分、矢立茶屋に着きました。 あぁ・・・風が吹いて涼しい〜 お腹がすいていたので、ちょっと休憩です。 焼き餅2個と抹茶のセット(525円)をみんなでいただきました。 |
矢立茶屋からは、いよいよ町石道(ちょうせきどう)コースに入ります。 1町は約109mです。 このひとつひとつの町石には最終地点までの距離が掘られています。 |
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登っていくと、袈裟掛石、押上石など、言い伝えのある石があちこちにあります。 いにしえの伝説にこの道の歴史の深さを感じます。 途中に車道との出会いがありますが、そこで「注意 くま出没」という標識が ありました。^^; |
歩きやすい山道です。 | ムクゲも咲いています。 |
沢ガニさん、こんにちは! | 山アジサイ |
13時40分、急な木段を上って車道に出た途端、 目の前に高野山の大門が現れました。!(^^)! 大門の向こうには、ブルーのアジサイが綺麗に咲いています。 標高約900m、涼しいです。 |
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大門 | |
高野山は、山上が盆地になっている為、 大学・高校はもちろんのこと、郵便局、銀行などもあって、 一つの町になっています。 山上に町があること自体が、私には摩訶不思議で 神秘的なことのように思えます。 食事をしようとお店を探しましたが・・・あぁ、今日は月曜日でどこも定休日です。 お土産やさんもお休みです。 ・・・やっと食事の出来るお店を探して、一同、お腹を満たしました。 しばらく散策して、タクシーで高野山駅へ。 ケーブルで極楽橋まで行き、そこから特急で難波に帰りました。 |